とある中年女性の日記

一人の時間と惰眠を愛するわたしの脳内と暮らし

アリースター誕生 感想

ええーっ

ブラッドリー・クーパーて、そんな人やったん?!

 

前知識ほぼなく、ブラッドリー・クーパーの映画も観た事もなく。

冒頭のライブ映像で「何このミュージシャン、本物のミュージシャンが映画出演するんやなー」

とか思っていたら、男の方の主役の俳優さんやったわ。

何もう。

なんで俳優が映画監督して、あの演奏と歌を役としてできるわけ?!

天は何物与えるというの。才気煥発にもほどがあるわ。

と思いつつ見てたら、サム・エリオットとの会話の車中のシーン。

いやいや、声が似すぎて多分わたし映画終わるまでこの男二人の聞き取り分けできへん。そう思っていたら、兄弟やったわ。

何もう。

出来過ぎやろ。

 

そう。出来過ぎやわー。

ガガも出来過ぎ。無名のときのフレッシュな表情、垢抜けなさの演出。

彼女が絶世の美女でないからできる演技とキャラクターとストーリー。

もう、憎い(なんでや)!!!

 

女性が強く歩んでいくサクセスストーリー、好きやわ。というか、手を変え品を変え、このパターンを鑑賞者としてひたすら踏襲し観続けるわたし。

風と共に去りぬ(長い)を年1回観る恒例行事にしているわたし。

今回もそういった女性映画ジャンルとしては、水戸黄門状態で基本何もいう事はない。

 

いかにも冷めた目で鑑賞しているように、書いてますが、デトックスのように涙を流してスクリーンに向かってます。

初ステージでは内面を開放し精一杯表現できるかどうか、自分がステージに立つかのように緊張し、歌唱シーンで感激し暗闇で多分顔パクしてるわたし。

ジャック(クーパー)の闇がアリーにどよ〜んと、じわじわと、来る時にはもう我が事のように「やめて〜ッ!!」と心中叫び、こいつ事故とかで早く死なんかな〜、でないとアリーが、アリーが…と心底思い、そして死んでくれてホッとしました。が、ホッとしたのも束の間、愛する人を失う女の心境にどっぷり浸かるわたし。

 

わたしは女ですから、このような見方を忘れません。

平日午前の、ショッピングモールのシネコンでのデトックスANDカタルシス最高でした(だいじょうぶかってくらい客おらず)。

映画観たわ〜〜〜て感じさせてくれてガガ、クーパー、ありがとう。

これでグラミー獲ったらマジでマジで出来過ぎだね!WOWWOWで授賞式みよっと。

スキンケアという名のただの念を送る行為

なんのきっかけからか「よし!肌のケアをちゃんとやってやろうじゃないか」。

そんなことを最近思って、実行している。

 

昔から化粧品は好きだった。スキンケア用品もメイク用品も。

地方の小太り(になってきているのを、汲々とした心持ちで怯えていた)の中学生時代、主に妄想に使う愛読書 雑誌「Sister」でボディーはボディーブラシで洗うもんなんや!と洗脳されたあの時代(金髪の少女モデルがバスルームで背部をブラシで洗浄している写真は今でも覚えている)、あの頃らへんから、その手のコスメ類に対する思い入れが始まった。

 

シャンプーは何を使えばよりサラサラになるのか、「洗顔ソープ」というものを使ってみようか、ブローしたレイヤーヘアが崩れるのは何より嫌だから「ケープ」は必須だ…等、実にめんどくさい日々の幕開けとなったのである。

 

本当だ。

それ以前はそんなめんどくささと無縁だったはずなのに。そこに足を突っ込んだら最後、現在まで(死ぬまで?)続く、わずかな喜びと、かすかなときめきを糧にめんどくささと、ときに義務感にかられてまでも美容というものと縁が切れずにいる。

つかず離れずというよりむしろめっちゃくっついて大好きなときもあれば、どーでもよくなり数日すっぴんで過ごすこともあり。しかし結局やめてはしまえない化粧というこの行為。

生理だって「sister妄想時代」くらいに始まって、そしていずれ終わるが、その後も女性は化粧をするんだから…。

 

いつもながらプロローグが長い。

そんなわたしであるが、ケミカル系美容液に期待し、オーガニック系オイルでマッサージしリラクゼーション、そんな行為に相反して、メイクを落とさないでベッドイン、風呂に入らない、そんなことも日常茶飯事である。

深夜起きていることも多いからプラスマイナスどころか普通に顔だけ洗っている人に全然負けているだろう(勝ち負け!)。

 

しかし、美容ブログや美容雑誌のあの真剣さ、オタクさ。

アレらをみていると、「美容道」のようなものも感じ、そしてまた引き返せないケモノ道のようでもあり、わたしは何かを刺激されてしまうのであった!そしてその真剣味が何か可笑しいのである!

 

1度彼女たちのようにやってみよう。

なぜっていつも3日坊主で、高いクリームも年明けに買ったら年末まで残ってるし、眠いけど化粧が枕につくのが嫌だからって景品でもらったタオル枕に敷いて寝てるような女である。やってみないとわからないではないか!

 

そして冒頭に戻る。結論。

びっくりするくらい効果が目に見えない。イヤ、くすみが抜けたり、ツルっとなったりはしてきた気がする。しかしシミはシミだし、シワはシワである。ハリも20代になるわけではないし、30代にさえ絶対に戻らない。43歳が41歳くらいにはなったかもしれない(ボトックス美容液のおかげで)が、それだって本当にそうならすごいことだ。

 

知っていた、知っていたし、結果を出したいなら美容皮膚科だ。たぶん(しかし地方の美容皮膚科は限られていて、そして予約困難だと!)。

 

しかし、とりあえずこの美容スキンケア生活、続けてみようと思う。

手という人間の体で一番、気を送り込めると思われる器官から、皮膚という外界とわたしの接触面に向かって、 念を送るのじゃ〜〜〜。化粧品は、その媒介物。魔法の液体。

ああやっぱりそういうことか。

今のにわか美容オタクなわたしの結論としては、こんな感じである。

 

2018年紅白歌合戦

やっぱりわたしはミーハーオタクな中年女。

最低で最高な実家で過ごす年末年始。

何年振りかのリアル紅白で、ちょい興奮。

自宅では取っていない新聞で曲順を調べ(当然ミカン片手に)、自分的に的を絞る。

①米津

②ISSA

ユーミン

三浦大知

よし、こんなところか。

 

①米津は、やっぱりかっこよかった(ミーハーだからアタシ)。

「アレ!ここ、この前わたし行ったところやわ!」

どーやら、実家の母が最近観光で行ってきた美術館で米津は歌っているらしい。

うん。オバサン達のバス旅行でいかにも行きそうだね。口に出したかも忘れたが、そんな事を思いながら、わたしは米津の歌に聴き入っていた。

こんな人が紅白に出るなんて‥しかもこのダンサー菅原小春と‥

 

しかし、 と、言えば、椎名林檎宮本浩次である。

この人たちはフィクションとして、国民たちに鑑賞されているのであろうか。椎名林檎は、東京オリンピックのアレとかで、もうれっきとした音楽家として評価されているのであろうか。

↑全体的にどーでもいい。

 

②ISSA

わたしは好きなのである。歌と、ダンスに余白があるところが、昔から好きだ。

余白ニアイコール余裕。そこが女にモテる→で足下すくわれる理由である。ISSAは悪くない。

↑さらにどーでもいい。

 

ユーミン

なんだかんだ言って、桑田との絡みで

おおーっ

と、思ってしまった私。

ユーミン単体でのあのバンド。もう何も言う事はない。

 

三浦大知

彼は賢くスマートである。みているとスーッとした気持ちになるので好きです。

カリスマ性がないところが、欠点でなくそこがいいといつも思う。素敵でした。

 

やっぱりちょっと紅白、生で観るあの抽選に、応募しやなあかんな‥

生聖子や、生嵐も、一回見たい‥かもしれん‥

 

毎回その考えが浮かぶのであるが、実際応募したことはない。

娘のセレモニーに際する雑感

4月、別れと出会いの季節である。

娘の卒園式と入学式にわたしも参加した。

知っていた、知っていたはずなんであるが目の当たりにすると割とびっくりすることってありますよね(あるある〜)。イヤ、でも普段は眼を背けてる訳でもないが、物理的に、直接的に見てないこと。

まあ、それというのは娘がなんか、周囲から浮いている、という「感じ」である。

そもそも自分の宝と考えている存在を完全に客観的に、俯瞰の視点でなんか見られる訳はない。しかしそこはmaro男(わたしの中の評論家のオヤジ)が登場、冷めーた醒めーた眼で式を観賞してみたり(時には号泣しながら。意味不明)もするんであるが、浮いているのは明らかな事実であった。

 

ここで、母の心境としてはなんだかやはり心中に暗雲のようなものが立ち込めてくるんである。言いようのない不安めいたもの。

 

この先、集団生活で、この小学校という組織の中で、いや日本という社会の中で必ず壁にぶちあたることは明らかである、その時どのような対処を、この子は、そしてひとり親であるわたしは、取るんであろうか‥

 

まあ、暗雲の内容はそんなとこであろう。

クソ真面目で大げさな割には平凡、そんなわたしの脳内はその程度である。

 

思えばわたしもそんな女の子だったんだろう。

浮いているのが世間的に良い方に作用する季節では天下を取るような勢いがあったが、アカン方に作用する季節では人生地獄(まさに小1)の味を舐めたものである。それが何故だか当時はさっぱりわからなかった。何せ本人はいつもクソ真面目で大げさで、真剣な割には平凡で悪意はなかったのだ。

現在は多少の悪意もある、イケてない40代な訳だが、それでも一定の女子(あえてそう言わせていただこう)にはシカト(あえて)や、意地悪されるのがデフォな自分なのである。繊細過ぎるせいで(マジ顔)いちいち傷つくがさすがに慣れた。

 

彼女には、わたしにはない無邪気さがある、そのようにみえるのが救いではあるが。

 

そんな中、桜がほんとうに美しかった。

 

 

 

 

 

痩せたね、と綺麗の狭間

ひっそりと再開した前回の記事で書いたのだが、痩せたんである。

 

(ひっそりと、と言ってもスターをつけてくださった方、おなじみさん皆様で、こんなブレブレなアタシの頁を開いてくだすったことが嬉しく感じました。ありがとうございます)

 

いや、自画自賛であるが、ダイエットの内容が良かった。

体重ではなく、体脂肪率が落ちた(当社比)。

これは完全に無欲の勝利である(と、高らかに勝利宣言だが全然説得力あるボディーではない)。

 

30年間くらい、太り方と痩せ方だけはアメリカのお騒がせセレブ(例マライアキャリーやレディガガ ベタ)を思わせるわたし。

セレブの100万分の1くらいのスケールのくせに、何の波に翻弄されているのかと思うが、妊婦時代は全くキラキラ感のない渡辺直美であったことは確かだ。

 

摂食障害の心理というのに昔は特に非常に興味があり、痛々しく我が身と重ね合わせることができた。たぶん嘔吐こそせずともボーダーラインだったのだ。

30代くらいから、痛々しさがよくわからなくなり、ぼんやりしてきた頃に結婚、妊娠した。おばさんになる(この言い方が是なのか非なのか結論出ておらず)ことの有り難みをじんわり実感し、幸せだった。

 

…で、なにが言いたいかというと、わたしはダイエットのセミプロだということである(また、高らかに)!

太ったら痩せれば良し、そんなおバカさんでもないが、そこそこの実績もある。

食べ順がどーだ、L−カルニチンがどーだ、有酸素運動は20分以上だ、酵素ドリンクだ、…もう書いているだけでうんざりしてきた、そんなもん聞き飽きており、どーでもいいのである。

とセミプロのくせにプロフェッサーばりに書斎にこもっていたら気づけばどえらいバディーになっておりました。

 

でも痩せたい、とは何故か思わなかった今回のクール。

しかし今まで感じなかったある思いが40過ぎたアタシの頭に浮かんだ、それは「強くなる、強くなるために鍛える」です。

本当にある日、です。馬鹿みたいな習慣としか言えない煙草を止め、足りない筋肉を付けて心身ともに強くなろうと決めたのです。

 

って怖いわ…。ここまで書いてて何に洗脳されてんのかと思うし、そのスイッチがどこにあるのかもわからんのも奇妙です。

しかし、結果非常にゆるやかなペースで体重は減少し、痩せました。

無欲の勝利です(イエ〜)!

 

てか、ここまでこんな読み物読んでいただいて申し訳ないのですが、今回のテーマは「無欲の勝利」でも「スタイル中の下から始めるアラフォーダイエット」でもないのです。

まあ、痩せたんだから「痩せたね」といろんな人に声をかけられます。「顔が小さい」とか「腰幅がどーんとしてたのがスッキリした」とか。二の腕おもむろに掴まれたり。

 

でも何でしょう。「痩せて綺麗になった!」そう言ってくれたのは約1名。

美意識かなり高めの50代、1名のみ。

言って欲しい、認めて欲しい、というのではない、何だろう…。

細いは細いという物理的なフォルムでしかない訳だ、イヤ、自分で密かにウエストの線が良い感じ、とか。そういうのも大事だ、イヤしかし…。

 

 

もう本当にただの真実ですけども、太いフォルムでも綺麗な人は綺麗であるし、痩せてるからって綺麗なわけではない、という。

痩せたね=綺麗になったね、ではないわけです。

知ってましたよ、存じ上げてましたそんなこと。でもやはり、何か錯覚のような、女性特有の呪縛のようなものがありますな。

 

 

根深い〜一体幾つまで〜どんだけ〜!!!

 

 

仮死状態にあったこのブログであるが、ひっそりと再開しようと思う。

 

最後の記事が 夏が終わる とか言ってるので、半年以上経ってしまった。

 

その間も日々の中で

「コレどっかに発表(発表て)したい、私的にヒットである、しかしそうは言っても、そうだ、ブログに書こうか」

という件は何度もあった。しかしそれを自分の中でスルーする時期であったのであろう。消化もしないまま、ただ日常が過ぎ去るに任せていた。

特にわたしはブログ、書き綴ることで自分の軸を保っていた、訳でもなんでもないが、そう考えてみると日常が過ぎ去るに任せるというのはもう、驚くほどただ過ぎ去っていくだけなのである(ほら、久々だから日本語もどうかと)。

 

ビックリする、41(しじゅういち)のわたし、もうすぐしじゅうに。

 

そしてこの間、長年の悪習であった煙草とさよならし、運動習慣というものを手に入れ、6kg体重を落とし、9%体脂肪率を減少させることが出来た。

なんだわたし、村上春樹になろうと思えばなれるじゃん、

 

じゃなくて、本当にビフォーが、どうかと思う状態であっただけなのだが。

今も決してステキな状態というのではない。

 

そして現在は、そのフィジカルな変化が一旦終了というか簡単に言えば頭打ちなわけです。

それで封印していた文系オタクの血が騒いできてこの文章を書いているのかもしれません。

 

 

夏が終わる No surprises

気付いたら終戦記念日だった。

日勤で勤務していれば、毎年昼休み職場で黙祷をささげる。

今年はそれもなかった。

 

お盆前、ほんの短い休暇があり1泊ではあるが旅行に出かけていた。

 

汗だくのお伊勢さん。海の生物と触れ合えるこじんまりした水族館。内壁が剥がれた、でも親切な従業員のいる海沿いの旅館。伊勢海老やサザエやあっぱ貝をただ焼いたやつ。豪華でないプール。たぶん1泊で行ける範囲では水質が最高ランクであろう小さな海水浴場。英虞湾の真珠養殖を見学しながらの遊覧観光船。

 

それらのすべてを小さな子供3人とともに過ごした。

 

上記のプランが例えば男性と二人だったらどうだろうか。

なんとなく淫靡でなんだか先のない二人のプランのように思えるのは私だけだろうか。

イヤ、わたしだけだろうね多分、だって至って普通の観光プランだもん。

剥がれた内壁やら、無口そうな海女などに何かを投影しているだけなのだ!

 

しかしまあ実際は、子供中心の旅行であるからそんな投影は心中におさめ、ともにはしゃぎ、見守り、食べ、宿では少し飲み、高速道一般道とミニバンをひたすら運転していた。

 

その帰り道、運転中にあわや事故を起こしそうになった。

それはわたしのふとした油断だった。

子供たちと過ごす、短い絵本の世界でボケっとしていたら一気に崖の淵から真っ逆さま下を覗き込んだような、そんな瞬間だった。

 

今でもその瞬間の感覚に身を浸すと震えそうである。ショックが大きいのだ。

 

そして数日経ち、通常の生活をしている。

暑い、市民プールで水に身体を浸す、水に身体を浸した後のちょっと違う世界に移動したようなあの感覚はなんだろう。仕事に行く、買い物にも行かなきゃ、あぁ旅行中と違ってまた1日以上子供の顔みてないや。

 

怠い、仕事も惰性かもしれない、プールに行くと気になる贅肉はもうどうにもならないのか。とりあえずスーパーの食パンはやめよう、あのお気に入りのパン屋でパンドカンパーニュを買うことにして、だからといって気分が浮き立つわけではない。

 

まさにその瞬間移動中の車内で。

youtu.be

 

No Surprises
A heart that's full up
like a landfill,
a job that slowly kills you,
bruises that won't heal.
You look so tired-unhappy,
bring down the government,
they don't, they don't speak for us.
I'll take a quiet life,
a handshake of carbon monoxide,

with no alarms and no surprises,
no alarms and no surprises,
no alarms and no surprises,
Silent silence.

This is my final fit,
my final bellyache,

with no alarms and no surprises,
no alarms and no surprises,
no alarms and no surprises please.

Such a pretty house
and such a pretty garden.

No alarms and no surprises,
no alarms and no surprises,
no alarms and no surprises please.

 

 

付けっ放しにしておいたFMって本当にごくたまにいい仕事するね。

この歌詞がこの音に乗って聴こえてくるなんて。