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とある中年女性の日記

一人の時間と惰眠を愛するわたしの脳内と暮らし

走りながら書く村上春樹は無敵

運動が気持ち良いことと知ったのは随分大人になってからでした。
思春期を文科系どっぷり浸かって過ごしたわたしは、十代の頃、運動部の人々は違う世界の住人だと思っていました。

でも、いい歳になって競争も協調性も関係なく、マイペースに歩いたり、泳いだり、たまに走ってみると常に感じる心地よさ。
瞑想とはまた違う入り口から、無に近づける。
また完全な無ではなくても、部屋での思考とは確実に違う思考の仕方。←なぜかドロドロにはならない。良い意味で楽天的で漫然とした思考。

歩くのも、走るのも、泳ぐのも、確実に前に進んでいて、身体がそのような意思をもっていると同時に、心だけ後ろ向きにはなれないってことか?

タイトルに戻すと、村上春樹の小説は(わたしにとって)かなりheavyで、一見救いがなさそうで、ごまかしがない分きつい部分がある。
でも、熱心なファンとして読み続けているのは、リアリティーを感じられる範囲の救いや希望があること。

彼の小説の濃厚さ、正確さ。村上春樹が走っていなかったら、今頃狂っているんじゃなかろうかと想像することがある。もしくは多くの作家のように薬物やアルコール依存か。

このテーマは難しすぎて、うまく文章になりませんが、もっと上手に表現してくれる方がいる気がします。
昨日のウォーキング中、ふとタイトルにしたフレーズが頭に浮かんだので記事にしてみたのでした。