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とある中年女性の日記

一人の時間と惰眠を愛するわたしの脳内と暮らし

今週のお題「一番古い記憶」 乳幼児の火傷と他人にネガティブな念を送ることの恐ろしさについて

今週のお題「一番古い記憶」

 

しかし、これってブログ初心者にとっては、文章修行のようですね。

ネタを振られて、それについていかに面白く、伝わるように書くか。

なかなか難しいけど、トライしてみます。

 

「一番古い記憶」

文字通り、わたしの人生で一番古い記憶について。

多分わたしが3、4歳くらいの時、3歳違いの妹は0〜1歳くらいだったと思います。そう、ホントの赤ちゃんといえる時期。

わたしと父とその妹で、多分あれは昼間だったので父の休日、日曜日でしょう。今思えばかなり昭和の香りがする和室でなんとなしに過ごしていました。何をしていたのか、それは記憶にありません。なぜなら次に起こる出来事があまりにも衝撃的だったから。

 

それというのは、妹が、突然火がついたように泣き出したのです。乳幼児というのはとにかく何かと泣くものですが、そんなもんじゃない。誰が聞いても緊急事態と理解できる叫び声です。

 

…妹の手の甲に、先ほどまで母が使っていたアイロンのプレスする部分が、載っていたのです。

 

そこから先の詳しい出来事は幼児のわたしは理解できませんでした。心に残っているのは家庭内での不穏な騒ぎの雰囲気とドタバタ感、泣き叫ぶ妹の声だけ。幼児のわたしにとっては、不安で仕方なくて自分も泣きそうな記憶。後に聞くと母は、父が子供達をみていてくれているもんだと思っていたようだし、父は「そんなもん、片付けとけよ!」と思っていたようだし。そんな言い争いもあったことも想像できます。

 

ともあれ、勿論すぐ総合病院に行きました。

診断は、重度の火傷。幼児のわたしはその傷を直接見なかったのですが、ケロイド状になりただれた状態であったようです。

すぐ入院治療となりましたが、あまりにもひどい火傷のため医師が提案したのが「皮膚移植」の手術を行うこと。

ほぼ40年近く前の時代に、乳幼児の皮膚移植治療がどれだけメジャーなものだったのかはわかりません。その医師の移植手術の経験がどれほどだったかもわかりません。しかし、移植するということは妹の体のどこかに新たに傷をつくり、そこから皮膚を持ってきて手の甲に移植するということ。また一つ、決して小さくはない別の傷を作ってしまう。それでも、一女性として成長していくこの子の手を美しく治してあげるためには、移植しましょう、医師の提案を両親はそう解釈したようです。

 

結果、移植する皮膚は太ももから採取され、妹は手術を受けました。

そして、退院後の通院。妹の手には包帯が巻かれていました。

そして数ヶ月か1年かを経て、すでに包帯が取れた妹の手の甲を見た時、わたしは衝撃を受けました。

全然、きれいになってないのです…。

これが移植までして「治した」と言えるのか。今でも生々しく、痛々しい傷跡。

まだ色んなことが理解できない本人は全く気にする様子はありませんでしたが、もうものごころついてから随分経つわたしは、その甲を見る度に辛い気持ちになりました。

それどころか、その場に一緒にいたのに、わたしおねえちゃんなのに、と自分を責めるきもちまで思い起こさせました。

 

わたしでそうなのですから、両親の自分を責める気持ちは相当なものだったと想像できます。 

その後、父はお酒を飲んだ時など、火傷の件を思い出しては「あの医者、きれいに治るっていう話だったんじゃないのか」などとクダを巻くことがありました。また、少々厄介な性格で酒癖も良いとは言えないため、そのクダが決して美しいとは言えないことばでの、医師への批判や悪口に発展することもしばしばでした。

ええ、お門違いなのはよく理解しています。それは父本人も一番良くわかっていたと思います。なのであくまでも家庭内での話ですし、自分を責める気持ちをその医師に転嫁したいだけだというのは皆わかっていました。

しかし、しかし…

やはり、だめなのです。自分の納得する結果にならなかったとは言え、治療してくれた医師のことを悪く言うなどしては。

 

わたしは、父の気持ちを多少鑑みたとしても、その飲酒時のクダが正直嫌でした。何か、ほんとに黒い、もやもやっとしたものが立ち上っているような気がしたからです。タイトルにした「ネガティブな念」を幼な心に感じていたのでしょう。

 

 

それから、しばらくたったころでしょうか。驚くべきことを耳にしました。

その医師が、急に亡くなったということを聞いたのです。若い方だったので、事故か、急病か。その時は確か理由を聞いたのですが結構な衝撃で死因は忘れてしまいました。

もう、その頃妹の通院は終わっており、その医師との縁は切れていましたが、わたしはなんとなく背筋が寒くなる感じがしました。父のネガティブな念と、若い医師の突然の死を、はっきり結びつけたわけではありませんし、因果関係を信じたわけでもありません。しかし、幼な心に何か恐ろしく感じるものがあったのです。そして、思ったのです。お父さん、あんなこと言わなければよかったのに、と。

 

以後、父は火傷の話をすることはなくなりました。

そして、妹は傷跡など全く気にせず、おおらかに明るく育ちました。

 

でも「一番古い記憶は?」ときかれて、わたしが思い出すのは妹の叫び声から始まるこの一連の記憶なのです。

 

 

以上でした。

 

 

 

追記:医療的な客観的事実は確かめようもありませんし、両親のその時の状況も曖昧なことが多いですので心ない批判はご容赦願います。