とある中年女性の日記

一人の時間と惰眠を愛するわたしの脳内と暮らし

ガラス越しの娘(秋だからおセンチな怪しい母の胸中)

朝、娘を「めろんぐみ」のおへやまで送って行って、大好きな先生に母子ともどもごあいさつした後、娘は「おたよりちょう」の9月7日のマスに季節の(9月だからお月さまとか、ススキとか)シールを貼る。

そこで、母と娘は一旦さよなら。

「ばいばーい、運動会の練習がんばっといでよー!」

母の言葉に娘は白眼をむいた変顔でガッツポーズ。

 

で、そこから怪しい母はガラス越しに娘(のみ。)を偵察、たまにしてみるのです。かなりコソコソと。

そして、母がスパイのように、あるいはストーカーのように視線を送ってると気づかない娘は、一瞬で、さっきまでとは違う顔をみせる。

 

朝、起きるときもう5歳のくせに「抱っこじゃないと起きれやん〜」と甘えた表情をしていたくせに。「朝ごはん、早く食べなきゃ!」と急かしているのに持っているのは「メダカのエサ」。「お外行ってくる!」と我儘いっぱいの表情をしていたくせに。送りの車内で「SEKAI NO OWARI」の音楽に浸り、自分の世界に入りまくっていた表情をしていたくせに。

 

そんな、母と二人で過ごすベタベタした、でも甘い幸せな時間とは全く違う顔を、「めろんぐみ」の教室で仲間に囲まれた途端、さらけ出している。

 

同い年の、でも顔も個性も違う男の子や女の子たち。その子たちから名前を呼ばれて、ぶつかりあって、ふざけあって、子ども流の「Welcome!おはよー!」のあいさつを交わしている娘の姿。

男の子が教室で飼っているカブトムシを女の子に乗せてからかっているのを、きっぱりとした口調で注意している娘の姿。

週末のお買い物(プリキュアとかね…)での収穫について、完全に女子の顔になってガールズトークに花を咲かせる娘の姿。

 

そのとき、多分さっきまで一緒に甘い時間を過ごしていた母のことは頭にないだろう。

「めろんぐみ」のおへやに一歩足を踏み入れるともう娘は私だけのものじゃない。生まれてからついこの間まで、狭い、だけど幸せな世界だけに過ごしていた娘はもう「いっぱし」に社会の中で生きていっている。

このスピード感に、あたしもついていかなきゃ、でも…(時間が過ぎ去っていくのが切なすぎる)。

 

たぶん、ガラス越しの怪しい母の胸がいっぱいになって、たまに泣きそうになるのはそんな感慨なのだろうか。

そしてこれも時間にすると数分の、日常のほぼ一瞬の出来事として母は空席のチャイルドシートを横目に、いつも通り出勤するのでした。

 

 

以上でした。