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とある中年女性の日記

一人の時間と惰眠を愛するわたしの脳内と暮らし

私がコメント欄を承認制にしている理由


この2、3日はてなブログにこの話題がちょいちょい出ていましたね。
完全に乗り遅れている感ありですが、まあわたしにはわたしのタイムスケジュールがあるので、やむなし。


コメント、別に完全オープンでぜんぜん問題ないんです。
別にあえて煽るようなことも書いていないし、書けない。そういう発想がそもそもできないような思考回路になっているようです。

しかし、自分の書いたものが他人の中のどこかの部分を意図せずして「煽る」可能性はある。そこに否定や嫌悪感が存在することもあるでしょう。
実人生で、今までにイミフな去られ方、嫌われ方、攻撃など受けたことがそこそこある自分なのだから。そして書いたものには「私」がもれなく含まれているのだからそりゃそうでしょう。


そしてそれ(コメント)をオープンにしてもむしろ実人生による被害に比べたら実害はない。ただこれはコメント欄がただわたしにとっては楽しい意見交換(?)の場で、否定や誹謗中傷を書き込まれたことがないから言ってるだけかもしれませんが。そしてコメント欄を荒らすまでのパワーもわたしのコンテンツには、特にない。


ですがね。
わたしが承認制をとっているのはそーゆう話ではなくてですね。
ブログを初めてしばらく経ったころ、打ち明け話をコメントしていただいたことがあったのです。
非常にデリケートでヘヴィーな話題。なぜ、顔も知らない、ほとんどやりとりのない私にそれをコメントくださったのか、という話題。

「なぜか言ってみたくなった、このコメントは読んだら削除してください」

と、そこには書いてあった。
わたしはそのコメントをしっかり受け止め…と言いたいところだが、そこまでの器をその方も期待していないだろうし、私も責任もとれない。ただ、そのコメントにある事実をわたしというフィルターにしっかり通過させ「そうか…」と。「うむ。」と思った。


なんかねー。
この件があってから何となくオープンでも全然OK、but承認制なんですよ。
打ち明け話を待ってるわけでも何でもないんですけどね。


批判を恐れずコンテンツを投下してなんぼじゃ、VSイヤイヤ自分を守るのも大事、の二元論で論じられているのを眺めながら、そんなことを考えていました。

逃げ?
逃げるまでの緊迫した状況は今の自分にはないでございます。
例外?
うん、例外以外の何物でもないわな。
でもなんか、実人生でもやけに「例外」が多いもんで。



以上でした。