とある中年女性の日記

一人の時間と惰眠を愛するわたしの脳内と暮らし

「スピリチュアル・オーラ・リーディング&マッサージ」屋へ行ってみた感想あれこれ

この前、「スピリチュアル・オーラ・リーディング&マッサージ」を掲げている店にマッサージをされに行ってみた。割引クーポンがあったのと、比較的自宅から近いのが理由だ。

しかし、その割引券が付いている地元のタウン誌には「スピリチュアル」「オーラ」等の単語を載せるのは規制されているらしく「全身アロマ1000円引き」などとのみ書かれていた。

それでいい。スピリチャルもオーラも特にいらん。わたしが求めているのはコリッコリでガチガチをほぐす全身マッサージのみなのだ。

 

と向かったものの、好奇心で冒頭の説明でやはりスピリチュアルメニューの説明も受けてみた。

「で、そのスピリチュアル、追加でおいくらになりますか?」

との質問に浮世離れした、仮面を被ったような化粧を施したその若い女性は、

「すみません。今朝は瞑想の時間がとれなかったもので。スピリチュアルメニューは事前予約が必要になります」

と当日予約のわたしに言った。「本当はこんなことじゃダメなんですけどね…」と言い訳をしていたが別にわたしには関係ない。でもこの生き馬の目を抜くスピリチュアル業界で、不測の事態に備え毎日鍛錬しておいたほうが…と思ったが余計なお節介である。

 

マッサージは割引もあったことを考えるとそこそこの腕だった。凝りもほぐれたしまあ満足だ。彼女はこのマッサージ中に数分「レイキ」なるものをわたしに行っていた。

それはスピリチュアルじゃないんかい?!

と突っ込みたくなるがそれはまた違う、どんな時でもできる手から「気」を送る作業で、筋肉をほぐし身体を温める効果があるという。そして身体に触れずにそれを行っている間、確かに身体に熱を感じポカポカとしてくる。循環促進効果があるのはよくわかった。そこでマッサージを行うと効果倍増ということも。

 

「ふ〜ん」

 

それがわたしの抱いた唯一の感想だ。

そしてここからは事後雑事に揉まれて過ごしている日常であの「レイキ」について思ったことであるが。

あの確実な温かさや感触を「すごい!」「何もしてないのに筋肉がほぐれていく!」と感激し大きな驚きをもってしまう人々がスピリチュアルに偏向してゆくのかなぁ、などとぼんやり。

 

話は変わって実家の母の料理は不味い。イヤ、昔はそうじゃなかった。しかし最近とみに、一見わからないような違いだが確実に美味しくはない、ことが多い。子どももおらず老いた人々がなんとなく同居し暮らしているその家で、料理上手だったはずの母は今も毎日台所に立っているがそれは「惰性」でしかないという(自分で言っていた)。メニューは昔からそう変わっていない。ワンパターン、昭和の味。なのになぜ。

それがどうだろう。子や孫達が帰省する夏休み、正月。

母の料理はいきなり精彩を放つ。これはいくらなんでもわかりやすすぎだろう…と感じる美味しさ。ひょっとしたら昔より美味しいんじゃないのか、何で毎日こうしないのか、と思う。しかしここでもメニューは大して変わらず、特別の手間暇かけている様子もなさそうだ。多少食材が豪華だったりはするが。

この違いはもう「気」以外の何物でもないでしょう。

 

とまあ、この母の料理のような例は日常に溢れかえっている。別に「気」とか「波動」とかムズムズする表現しなくても。誰でも言葉にしなくてもわかっていることだと思っていた。

 

しかし「そうでもないのかな…」と思う出来事もここ数年遭遇することが多々ある。あの「レイキ」に感動する人々と重なっているのかもしれない。

その人々と、わたしとどっちが鈍いのかわからなくなる。