とある中年女性の日記

一人の時間と惰眠を愛するわたしの脳内と暮らし

「その風邪、どっからもらってきたん?」

タイトルは娘が1、2歳の間、母であるわたしが言い続けられた一言。

娘が風邪をひくたびにこの言葉を発する主な人間は数名いたが、現在一定の距離を置いていることと、3歳くらいを境目に風邪や発熱、その他感染症に罹患することが極端に少なくなったためここ最近この言葉を聞いていない。

その事実は実に心の安定と平和のためよろしい。

なぜならこのセリフを耳にするたびにわたしの心中はざわつき、その言葉を発した者に敵意、まではいかないがまあ何というのでしょう、要はムカついていたんです。

 

わたしは娘が1歳の頃から夜勤も含めたフルタイムで仕事復帰したため、病院直属の託児所に娘を預けた。わたしが泊まりの時は娘も泊まる、夜勤明けに娘を迎えに行く、そんなことを何百回と繰り返した。

「◯◯ちゃん、かわいそうだね。」

わたしとの距離感の遠近に関わらず、同業者でさえ!そういうことを言う人々は何人もいたが、上記のセリフほど心ざわつくことはなかった。いわば定型文、定型には定型返しだ、心にもない挨拶程度の返しでやりすごしていた。

 

しかし「その風邪、どっからもらってきたん?」は1、2歳の頃の子育てを振り返ると一種トラウマ的な響きをもっている。

というのもその時期娘は、風邪を始めとする様々な感染症にこれでもか、というほど罹患し、その度にわたしは実家に助けを求めたり、各方面に電話したり、そのうちに自分にも感染ったりして職場にも迷惑を掛け…、とそんな綱渡り的日常であり、そこに何か申し訳ない…(何に対する?娘に対する!?)と言い訳する弱さを持っていたからである。

その弱さとずるさの間にそのセリフはスッと入り込んできた。

 

どっからもらってきたん?その病気。未熟な、赤ちゃんに毛の生えたような母親が先頭切って庇護すべき生き物を夜間に他人に預けて、その他人は信用できるの?隣のクラスの子インフルエンザだって、予防接種ちゃんと打ったのかな?むやみに人混みに連れてくんじゃないよ、特にこの季節は。

 

それは重要な他者の声?それともどーでもいい他人たちの声なの?いやひょっとして他ならぬ自分の声?

 

ブレブレだ、口の中ができものでいっぱいで高熱を出して、何も食べられなくなった1歳の娘を横目に出勤した。

 

冬の街は健康そうな成人たちのマスク姿が殊更目に付いた。健康そうなだけかもしれない、微熱をおして出勤しているリーマンは本当はしんどくてたまらないのかも。

しかしマスク多いな、あの形状、病院のやつより形状ハイテクだ、単価高そう。

それをその人が選択した理由は?そこまでして感染したくない?感染りたくない?

どっちでもいいや、あたしは免疫上げるためにみかん食べよう。

そーだ娘にも、口のできもん治ったら、初めてのみかん、食べさせてみよー、酸っぱいって吐き出すかな?意外にヒット!?どんな顔するだろう。

とりあえず、とりあえず、だ。今日の夜勤は集中して、ヘボいミスなんて絶対しないで、定時に上がるんだ!!!

 

そんなことばかり考えて毎日を送ってた気がする、あの時期。