とある中年女性の日記

一人の時間と惰眠を愛するわたしの脳内と暮らし

欲 

この前出張で「看護の倫理」の講義を受けてきた。

それ以前の大きなカテゴリに当たる医療倫理、といえば延命治療に代理母出産、脳死問題や輸血拒否などトピックには事欠かない。

が、今回はそのような大きな話ではなく、その出張で聞いた1つのエピソードが心に残ったゆえ記事としてみる。

 

その患者は訪問看護を受けていたALS患者。

筋萎縮性側索硬化症 - Wikipedia

筋萎縮とその名にあるように四肢不自由からやがて筋萎縮は呼吸筋に及び、自力で呼吸が出来なくなると死亡に至る。おおよそ寝たきりのベッド上生活、そして人工呼吸器による延命は可能である。

 

件の患者は自宅で療養するなかで延命を強く拒否し続けていたという。人工呼吸器つけてくれるな、と。

講義の演者(訪問看護師)もその意思を尊重し対応し、死は自然に任せるつもりであった。それが倫理的な態度であるとして。

ところが数年後、そのある意味賢明で意思の固い、自分の終わりは自分で決めると言わんばかりのその患者が方針を変えたという。演者はびっくりして患者の自宅にすっ飛んでいった。人は考えを変えることがある、それは珍しいことでもなんでもない、でもあの人に限って、あの人だけは延命処置を望むなんてあり得ない、と思ったのだそうだ。

 

患者が人工呼吸器を付けると決めた理由。

それは自分が発症したときに生まれた孫、一緒に暮らしてきた孫の「ランドセル姿が見てみたくなった」から。「◯◯さん(演者)、わたし欲が出た」と話したそうだ。

 

なんかそれ聞いたとき、わたし泣いてしまったんですよ。

ある意味平凡な医療系感動物語?お涙頂戴の世界の中心で愛を叫ぶ(古い)系?

そんな自分ならやりそうな突っ込みなんかすっ飛ばして胸が苦しくて涙が止まらなくて。わたし一人異様だった。

一緒に講義を受けていた同僚とこのエピソードについて話した際も、彼女は「ああ、そういうことね」とクールに受け止めていたし別に会場から嗚咽が聞こえてくるなんてこともなかったけど。

 

その患者、孫の成長を見たいという欲、それに付随してその他の欲も出てきたか。

欲ってなんだろう。欲があれば人は生きていけるのか。

でもこのエピソードを聞いたとき欲というものが凄く美しく思えて。それを抱いたが故に「やっぱりこんな風で生きていなくてもいいのでは」「自然に死ぬのがあるべき姿なんじゃないのか」などという葛藤も想像できるとは言え。 

 

 

 

そしてこの記事、これで終わればいいのにリアルな実感を少し。

職業上にて、こんな人の姿に直接触れたい、見てみたいという気持ちもないこともない。

しかし現在勤務する急性期の総合病院での医療事情では、なかなかお目にかかれない。もちろん感性等含めてわたしがそれに価する人間ではないということも言えるだろう。

しかし、この一般的な日本の病院での医療システム、入院生活、これは欲を奪うよ。ギラギラしてた人も骨抜きになっちゃうよ。これははっきりと確かだと思う。