とある中年女性の日記

一人の時間と惰眠を愛するわたしの脳内と暮らし

娘のセレモニーに際する雑感

4月、別れと出会いの季節である。

娘の卒園式と入学式にわたしも参加した。

知っていた、知っていたはずなんであるが目の当たりにすると割とびっくりすることってありますよね(あるある〜)。イヤ、でも普段は眼を背けてる訳でもないが、物理的に、直接的に見てないこと。

まあ、それというのは娘がなんか、周囲から浮いている、という「感じ」である。

そもそも自分の宝と考えている存在を完全に客観的に、俯瞰の視点でなんか見られる訳はない。しかしそこはmaro男(わたしの中の評論家のオヤジ)が登場、冷めーた醒めーた眼で式を観賞してみたり(時には号泣しながら。意味不明)もするんであるが、浮いているのは明らかな事実であった。

 

ここで、母の心境としてはなんだかやはり心中に暗雲のようなものが立ち込めてくるんである。言いようのない不安めいたもの。

 

この先、集団生活で、この小学校という組織の中で、いや日本という社会の中で必ず壁にぶちあたることは明らかである、その時どのような対処を、この子は、そしてひとり親であるわたしは、取るんであろうか‥

 

まあ、暗雲の内容はそんなとこであろう。

クソ真面目で大げさな割には平凡、そんなわたしの脳内はその程度である。

 

思えばわたしもそんな女の子だったんだろう。

浮いているのが世間的に良い方に作用する季節では天下を取るような勢いがあったが、アカン方に作用する季節では人生地獄(まさに小1)の味を舐めたものである。それが何故だか当時はさっぱりわからなかった。何せ本人はいつもクソ真面目で大げさで、真剣な割には平凡で悪意はなかったのだ。

現在は多少の悪意もある、イケてない40代な訳だが、それでも一定の女子(あえてそう言わせていただこう)にはシカト(あえて)や、意地悪されるのがデフォな自分なのである。繊細過ぎるせいで(マジ顔)いちいち傷つくがさすがに慣れた。

 

彼女には、わたしにはない無邪気さがある、そのようにみえるのが救いではあるが。

 

そんな中、桜がほんとうに美しかった。